現代芸術はなんだかよくわからない
2021年10月12日から2022年1月16日まで国立国際美術館で開催中の「ボイス+パレルモ」展
第二次世界大戦以降の最も重要な芸術家のひとり、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)と、ボイスの教え子のひとりブリンキー・パレルモ(1943-1977)の1960-70年代の作品を中心に構成されています。社会と芸術の関わりについてみつめなおす機会になることを願う展覧会です。
会場に入ってすぐ、ボイスが狭そうな室内で、長く、重そうなアングルを取り回し、一本ずつ壁に立てかけている映像が目に入ります。アングルを運び終えたボイスは肩で息をしていて、その棒がとても重いことがわかります。
右側を向くと、壁にもたれかかっている大きな4本のアングルがありました。それが《ユーラシアの杖》(1968-69)という、映像の中の作品。思っていたより大きく、威圧感というか、得体の知れない“圧“にびっくり 。アングルにフェルトが巻かれていることで、剥き出しの金属ほど黒く冷たい印象はありません。かといって、4メートルもある大きなアングルの脅威はフェルトを巻いたぐらいでは消えません。さっそく優しいのか冷たいのか、自分が知っている感情に当てはめようとして頭の中が混乱しはじめます。
うーむなんだこりゃ
《ユーラシアの杖》1本の重さを計算してみた
・木材/ T145 x W145 x L4,250mm スギの比重 0.38
・フェルト/ 厚み = 50mm(?,5mmじゃないのかしら?)
・銅の棒/ ca. T20 x W80 x 4,060mm 銅の比重 8.96
※ 作品リストより, cm → mmに
L型の片方が銅で、もう片方が木材という構造になっているのかな。
ざっくり重量計算をしてみると、まず、木材の材質が分からないので、比重が軽いスギで計算してみると約33kg, フェルトはデットニング用のものと考えて1kgぐらい,銅の棒が58kg。
合わせて1本90kg?! えーそんなん持てるかな?? 木材をもっと軽いものにしているのかな。
いずれにせよ銅の棒だけでも50kg以上だし。そうとう重い。 肩で息をする理由の一つだわ。
ボイスさん一人で担いでたしなぁ。。。。
ボイスの「拡張された芸術概念」
政治活動や環境問題さえも芸術上の問題として引き受けるボイスは、広く公衆に語りかけ、挑発し、駆り立てることが重要でした。また、作品そのものの完成より、“運動や変化のありさま“を見せることに重きが置かれていました。
「なんだかわからないけど楽しい」の理由がついに判明
現代芸術は「なんだかわからないけど楽しい」とずっと感じていたけれど、その“なんだかわからないもの”の正体をあえて探ろうとしたことはありませんでした。
国立国際美術館ニュース2021.10,242号で館長に就任した島さんのコラムを読んで、これまでのモヤモヤが一気に晴れることに!
“分からないという気持ちを否定せず、あえて楽しむのだ“
国立国際美術館ニュース2021.10,242号
映画や小説は、あらすじや結末を知らなくても、最後まで見たり読んだりする。
国立国際美術館ニュース2021.10,242号
しかし、なぜだか美術だけは、見たら即座に理解できないといけないようである。分からないのは、自分に教養がないから、感性が鈍いから、という風にとにかく自分を責めてしまいがち…
確かにそう。いえてる。
島さんは以下のように続ける。
ならばいっそのこと、分からないまま保留にしてはどうか、というのが私の提案だ。
国立国際美術館ニュース2021.10,242号
(中略)
分からないという気持ちを否定せず、あえて楽しむのだ。
これだ!
「保留」というより、「気持ちを放置」していただけだけど、分からないまま楽しんでいた。それが心地よかった。
分からないことがおもしろかったんだ!
それでよかったのか。
社会と芸術との関わりについて考えることは難しい。
なにがいいたいのか、なにを表現しようとしているのか。
その時に答えを出そうしなくても、自分のタイミングで答えが出てもいいし、出なくてもいい。
現代美術の楽しみ方のひとつ。なんだかもっと現代美術が好きになってきたな。
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